2006年9月12日火曜日

UP THE JUNCTION

スクィーズ初期の代表曲で、おそらくディフォード/ティルブルックのソングライティング・チームが注目されるきっかけともなった「UP THE JUNCTION」(1979年のアルバム「COOL FOR CATS」から)。若い恋人たちの出会いから、 同棲、妊娠、出産、そして別居(彼女は子どもを連れて別の男のもとに)までの経緯が、男を語り手として描かれています。

冒頭のクラパムというのは、ロンドン南部の地名で、鉄道のクラパム駅は「Clapham Junction」(略称は「The Junction」)と呼ばれ、何本もの路線が乗り入れるイギリス一の利用者数を誇る乗り換え駅なのだそうです( ウィキペディアによると、世界中で新宿に次いでもっとも混雑する駅なのだそう)。つまり、この曲のタイ トルは、「クラパム(乗り換え)駅についた」という意味なのですが、同時に イギリス英語で'up the junction'は、「にっちもさっちもいかないどんづまりの状態」という意味もあり、歌詞の内容を考えると見事な「かけことば」になっています。「クラパム広場(The Common)」というのも、市やサーカスが 開かれる実在の広場だそうです。なんて、イギリスに行ったこともない私が見てきたように書くのもあやしいのですが、いちおう調べはついてます(笑)。「レイルウェイ・アームズ」というのも、実在する有名なパブの名前だそうで す。

ちなみに、娘を連れて出て行った母親のその後の人生は、およそ20年後の98年 のアルバム「DOMINO」に収録された「A MOVING STORY」で描かれています。この歌にもクラパムという地名が出てきますね。

この歌でとにかく見事なのは、2行ずつすべての行末で韻が踏まれていること。対訳では再現できませんでしたが、ぜひ英語の原詞でご確認ください。この偏執的とも言えるクリスの押韻の魔術は、「SLAP AND TICKLE」や「VICKY VERKY」でも味わうことができます。また、「VICKY VERKY」と同様、基本的に同じメロディの繰り返しで、1回だけBメロに展開して、元のメロディにもどって終わるという、ポップ・ソングにしては変則的な構成です。いずれも若い恋人たちの物語形式の歌ですね。

タイコウチ


「乗り換え駅で」

こんなふうになるとは思いもしなかった
ぼくとクラパムから来た彼女のこと
強い風の吹くクラパム広場で出会った
決して忘れないあの夜のこと
彼女は配給の食べ物を分けてくれた
思い切って彼女に言った
きみは素敵な女性だね
彼女はいった たぶんそうかもね

ぼくたちは地下にある部屋に引越した
婚約しようなんて話をした
テレビのそばでいっしょにすごした
ちょっとカビくさい部屋だったけど
ぼくたちはキスをしていちゃついた
レイルウェイ・アームズに行く余裕はなかったけど
ぼくたちは愛で結ばれて
いつも幸せだった

ぼくはスタンリーの店で働くことになった
店ではちょうど人手が足りなかったところ
月曜から来るようにといわれ
日曜には風呂に入って身を清め
一日11時間働きづめ
彼女にはときどき花を買ってやった
彼女は医者に見てもらってきたといった
子どもを生むことを心に決めていた

冬のあいだずっと働きつづけた
うんざりするような天気ばかり
毎週10ポンドずつ
彼女のために貯金して
いよいよ生まれそうになって
テレビも売り払った
夜おそくヒーターのそばで
赤ん坊が彼女のおなかをけるのがわかった

今朝がた4時50分
大あわてのぼくは彼女を
保育器のところまで連れていった
それから30分が立ち
女の子が生まれた
1年たって歩くようになった
あの子は母親にそっくり
うりふたつとはこういうことか

あれから2年、娘も大きくなったはず
母親はどこかの兵隊と暮らしてる
彼女が家を出てからぼくは酒浸り
思い出は針のようにぼくを刺す
悪魔の誘いに乗せられて
酒場と競馬のノミ屋のあいだで街をさまよう
テレビを見てすごす幸福な夜はもうない
くさいおむつを夜中に替えることもない

いまキッチンでたったひとり
なんだかさびしい気持ち
彼女にあやまってみようかとも思うが
許しを請うなんてぼくの性に合わない
手紙をくれといつもいっても
彼女は一通も書いてよこしたことがない
たぶんこういうことなんだ
ぼくは人生の乗り換え駅で途方に暮れている

(訳:タイコウチ)

英文の歌詞はこちら