2006年9月1日金曜日

VICKY VERKY

初めて聴いたスクィーズの曲が「Vicky Verky」でした。もう四半世紀(!) も前のことですが、佐野元春さんの「Motoharu Radio Show」こと「サウンド ストリート」というFM番組でたまたま耳にして、一目惚れして、まもなく手に 入れたのが、この「Vicky Verky」の収録された「Argybargy」(「侃々諤々 (かんかんがくがく)・喧々囂々(けんけんごうごう)」という意味)という 彼らの3枚目のアルバム(1980年発表)でした。ファンには昔から人気があっ たと思われるこの曲も、今年出たベスト盤「The Squeeze Story」でようや く、ベスト盤収録という栄誉を勝ちとりました(なんかこればっかり・笑)。

まるで一編の映画を3分間で見るようなマジックが、この曲にはあると思いま す。ヴィッキーとヴァーキーという10代半ばの女の子と男の子が出会い、恋を するのですが、やがて少年は窃盗の罪で少年刑務所へ、一方妊娠が発覚した少 女は、理解のない母親に虐待されつつ中絶させられることに。しかし最後は、 服役を終えた少年と少女が海辺にキャンプにでかけ、やり直しを誓いあうので す。

英詞を見てもらえばわかりますが、この曲は、1行目と2行目、3行目と4行 目、という具合に、2行ずつすべての行で完璧に脚韻が踏まれています。さら にメロディの展開も独特で、1番のいわゆるAメロが、2番、3番、4番とそ のまま繰り返されて、5番になってようやく新しいメロディの展開(Bメロ) となるのですが、間奏のブリッジのあと、6番では再びAメロにもどって曲が 終わるという構成になっています。つまりふつうのポップソングの定型からは はずれた、いわゆるサビのない曲なのです。くわしく調べたわけではないのですが、これはイギリスの古い物語歌「バラッド」に基づく形式なのではないかと思います(くわしいことをご存じの方がいらしたら、ぜひご教示ください)。

ちなみに、Aメロがひたすら繰り返され、終わり間際で1度だけBメロに展開するというこの形式は、スクィーズ初期の名曲で人気の高い「Up The Junction」にも見られますが、この曲も「Vicky Verky」と同様に、映画を思 わせるようなストーリーで、やはり2行ずつすべての行で見事に脚韻が踏まれています。もっともグレンによると、「Vicky Verky」は、基本的に「Up The Junction」の二番煎じになってしまったので、曲としてはそれほど思い入れはないのだそうです(ちょっとがっかり)。

タイコウチ


「ヴィッキーとヴァーキー」

彼の指が彼女の髪をかきあげると
フィッシュ&チップスの匂いがした
琥珀色の街灯の下
あとは彼女の気持ち次第
露にしっとりとぬれた夜
街灯に照らされたふたりにことばはない
彼女はまだ14歳だったけれど
好きな人とどうすればいいかは知っていた

鉄道の側線に並び
ふたりは横になる
彼女の手をとり彼はささやく
「きみはぼくのミセス、ぼくはきみのミスター」
汚れのない月は白く輝やき
いまこのとき彼女の人生が変わる
初めての大人の経験に
親友たちがみな幼く思える

ふたり並んで歩いていると
ほんとにお似合いのカップル
友だちは彼女をからかって笑う
彼女がレディみたくからだをくねらせてると
繁華街を歩くふたりは
奮発してアイスクリームを食べる
ときには彼がおごってあげることもあった
母親からくすねたお金で

やがて彼はバーストウ少年刑務所に入れられた
命令されてやったらしい
だれかの家からステレオを盗んだという
彼女は体調をくずし 毎日泣いてばかり
朝が来るたびに つわりはひどく
母親が彼女をぶつこともたびたびあった
もし本当のことを知っていたら
きっと自分の娘をかわいそうにと思っただろうに

手紙を受けとった彼は同意するしかなかった
彼女に子どもを生ませることなどできるはずがない
独房でただひとり
ひざをかかえた彼の視線は宙をさまよう
これが現実というものなのだろうか
こんなの全然フェアじゃないよ

やがて夏が来て ふたりいっしょに
海岸に出かけ テントを張った
携帯コンロで彼女が料理をつくり
地元のシードルの味見をした
彼の横顔に向って彼女は言った
「もう一度やり直したいの
きっとあなたのこと一生愛しつづけるわ」
「もう一度やり直したいの
きっとあなたのこと一生愛しつづけるわ」


(訳:タイコウチ)

英文の歌詞はこちら