2006年10月2日月曜日

RAY & ME

「transatlantic ping pong」からのこの曲は、グレンとクリス・ブレイドの 共作のクレジットになっていますが、歌詞はほぼグレンの自伝的な内容のようなので、大半はグレンのペンによるのではないかと思われます。郷愁を誘うグ レンの少年時代の親友との想い出が、思いがけず現在につながります。ところが、大切なメモをなくしてしまうなんて、トホホなオチがついてこの曲は終わりますが、このエピソードのおかげで、失われてしまった過去のかけがいのなさがいっそう甘酸っぱく立ち上ってくるようにも思えます。

タイコウチ


「レイと僕」

僕らの住んでいた通りのつきあたりには空襲被災跡地があって そこでよく遊んだ
錆びついた鉄板のすきまに抜け道を見つけて入った
ずいぶん遅い時間まで 腹ぺこになるまでそこにいたものだ
毎日がわくわくするような冒険で 僕らは親友同士だった
レイと僕

レイの家族は お姉さんと 優しいお母さん
煙突のように煙草をふかすお父さん
それからお兄さんは
僕らがレコードをさわったり 雑誌を見たりすると
いつもめちゃくちゃ怒るのだった
でも僕らはそれほど気にすることはなかった
僕らはまだとっても若かったから

僕の母さんは気の小さい人だったけれど
僕にはいつだってとても優しかった
兄貴はおやじが病気で亡くなったあと
結婚して早々と家を出ていった
週末には家族でバスに乗り ウールウィッチまで食料を買いに行った
でも外でレイと遊ぶことほど心がはずむことはなかった

黄昏どきがやがて闇夜へとかわり
それでも僕らは外に座ったままで
人生の重大事と思えることについて 芝居がかった声でささやきあった
未来のこと 大人になったらどうなるか なんてことを話した
僕らは自分たちの将来の姿を想像して 腹をかかえて笑った
レイと僕

レイの家は市に買収され
空襲被災跡地も整備されてしまった
子ども時代の僕の思い出の場所も 今では6車線の道路になった
僕らはいつでも気の合う仲間同士 週ごとに互いの家を行き来していたが
その回数もやがて減っていった
レイと僕

僕がイースト・ロンドンでライヴをやったとき レイが会いに来てくれた
彼は電話番号のメモをくれたのだが 僕はそれをなくしてしまった
いかにも僕のやりそうなことだ

(訳:タイコウチ)


英文の歌詞はこちら