2006年10月2日月曜日

VANITY FAIR

タイトルは19世紀のイギリスの作家ウィリアム・サッカレーの小説「虚栄の市」(もしくはそれをもとにした映画)からとられているのだと思いますが、訳ではもう少し説明的に「うぬぼれの見本市」としてみました。もっとも私も「虚栄の市」を読んだことはないので、どの程度この歌と小説に対応関係があるのかはよくわかりません。

この歌は、若くてちょっときれいな顔をしている女の子の日常をけっこう辛辣に描いているようです。似たような境遇にある女の子をもっとストレートに同情的に歌ったポール・マッカートニーの「ANOTHER DAY」という曲をなんとなく想い出します。

「EAST SIDE STORY」に収録されたオリジナル版は、豪華なオーケストラの伴奏がついていますが、ベスト盤「THE SQUEEZE STORY」では、簡素ながら叙情味あふれるピアノ伴奏ヴァージョンを聴くことができます。そして昨年のグレンの来日公演でのヴァージョンも、たった1本のギターで素晴らしい演奏を聴かせてくれて、あらためてこの曲の美しさを堪能しました。

タイコウチ


「うぬぼれの見本市」

彼女は学校を出てすぐに工場で働きはじめた
収入はおこづかいからお給料に変わり
安物のビニールかっぱからコンパクト・ケースに
そして毎朝お化粧を念入りに点検する

パブでビールを飲みながら彼女は悟る
きれいな顔をしていても
吟味されると知性のなさを隠すことはできない
肉屋のガラス窓にうつる自分の顔を見ながら
それはそれで素敵じゃないかと思う
自分の肉体すべてがうぬぼれの塊だなんて

見栄を張ってシャツの胸元を開けていても
10時きっかりに家まで送ってくれるような
そんなボーイフレンドが理想的
仕事を終えると髪をとかす
男とつきあってもいつもうまくいかない
体重計に乗ったまま、指にマニキュアを塗る
陸に打ち上げられた鯨のような声をあげてうがいをする
彼女がきれいなのはうわべだけ
タバコの缶に眉毛をしまう
片脚を椅子に上げてみる
ヤシの実落としのまねをしてみても
そこにあるのはうぬぼれの見本市

彼女の化粧道具入れにはコンパクト・ケース
コンパクト・ケースには彼女の目が映る
年頃の女の子としてはけっこう悪くない
でも彼女の見栄は相当なものなのに
ユーモアのセンスは乾ききっている
また新しい男に夜遅くに送ってもらう
パイナップル・ジュースを一杯飲んだだけなのにと言い訳をしながら
服を来たままベッドで眠り込んでしまう
メイク落としを顔のそばに置いたまま
現実の世界とは違うかもしれないけれど
彼女の見る夢はすべてがうぬぼれの見本市

(訳:タイコウチ)


英文の歌詞はこちら