2010年12月19日日曜日

IF IT'S LOVE



1989年のアルバム「FRANK」から、シングル・カットもされた「IF IT'S LOVE」です。この曲も、最近のスクィーズのライヴでは定番曲となっています。恋に落ちたときのどきどきする気持ちを歌っているようですが、この歌詞は、普通のラブソングとはかなり違っています。どういうことかというと、この歌には、歌い手の恋する相手がまったく出てこないのです。

普通のラブソングであれば、二人称で「きみ(You)」なり、三人称で「彼女(She)」なりの、恋する相手のことが何らかのかたちで歌詞に出てくるのが当たり前です。ところが、この歌は、最初から最後まで、「もしも、これが恋ならば、僕は…」という具合に、ひたすら「僕」の独り言で埋めつくされていて、この歌い手が恋している相手の様子はまったくわからないという、ちょっと不思議な世界が展開されているのです。

これって、もしかして歌い手の単なる妄想じゃないの…という気さえしてきませんか?片想いですらない(だって相手が出てこないのですから)歌い手のこの根拠のないわくわく感っていったい何なのでしょう… いやあ、私の深読みだといわれればそれまでなのですが、やっぱり少し変じゃないかなあ。

というわけでちょっと調べてみたら、この曲は、もともと「IF I'M DEAD」(もしも、僕が死んだら)というタイトルでつくられたものが、内容があまりに暗すぎるということで、当時のレコード会社からダメ出しをくらって、歌詞をあえて正反対に書き換えたものなのだそうです。この歌詞の表向きの楽天性には、意に沿わないまま開き直った書き換えによって、はからずもオリジナル版で意図されていた空虚さがにじみ出ている、とまでいっては、かえってひいきの引き倒しになってしまうでしょうか(笑)。ちなみに、デモ・ヴァージョンとしての「IF I'M DEAD」は、2007年に出たリマスター盤CD(紙ジャケの国内盤ではなく、輸入盤の方)にボーナス・トラックとして収録されています。



「もしも、これが恋ならば」

もしも、これが恋ならば
すべてがうまく説明できる
なんでウールに包まれたような気持ちなのか
もしも、これが恋ならば
最高に楽しい気分で
日記にも書くことがいっぱい
もしも、これが恋ならば
大切なのは
僕がやせているか、それともちょっと太り気味か
もしも、これが恋ならば
サッカーの賭けで大もうけをした気分

もしも、これが恋ならば
気持ちを捧げなければ
まるで宙を歩いている気分
もしも、これが恋ならば
自分の世界をふわふわ漂っている気分
そこに誰がいるのかもわからないまま
もしも、これが恋ならば
誰か僕の頬をぶってほしい
僕はこんなに幸せでいいんだろうか
もしも、これが恋ならば
僕は何も気にせず思いきり笑ってる

もしも、これが恋ならば
ぼくの歯はいつもと違ってピカピカに磨かれて
もしも、これが恋ならば
だからこんなに不思議な気持ちがするんだ

もしも、これが恋ならば
永遠に続いてほしい
僕のハートで時を刻む鼓動のように
もしも、これが恋ならば
羽毛のように僕はふわりと落ちていく
サメの歯にはさまれた卵みたな僕
もしも、これが恋ならば
頭が冴えて、夜更かしても全然疲れない
もしも、これが恋ならば
僕の世界はもういまにも火花を散らしそう

これが恋なのだろうか

(訳:タイコウチ)